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拷問を調べるという猟奇

世の中には、人が未来に進むために捨てた文化や歴史を捜し歩くという行為が存在します。それすなわち、猟奇。 急に何を言い出すのかと思われるかもしれませんが、自分がやっていることを正しく理解しているべきだと再認識したという話です。   昨日の話ですが、ちょっと人の多く集まるような場所に出かける用事がありました。そうすると、当然ですが人が大勢いるわけです。その場所というのは、いわゆるショッピングセンターだったのですが、日曜日にそんな場所にいる人々というのは、休日を楽しく遊んで過ごそうという目的の人々がほとんどなんですよね。一方、私がその場所に出かけた用事というのが、とある本を買いに本屋に行くことでした。もちろん、拷問に関する資料となる本を、です。 周囲の人々は今を、そしてこれからの未来を生きているというのに、私は過去を、しかもこれからどんどん忘れ去られて消えていくであろう過去の遺物である所の拷問について調べている。我がことながら、随分と奇妙なことをしていると実感しました。 勘違いしないで欲しいのですが、これは良かった出来事の話です。私はきちんと拷問に向き合えているんだなと、他の人が見ないものをちゃんと見れているのだなと。だからこそ、普通の生活を送っている人々を見て、自分の行動がそれらとは違うと感じることが出来るんだなと。そんなことを思いました。普通の人から見たら、随分と不健康なこと考えてるなと思われそうですけどね。 ここで記事の最初に話が戻るのですが、このような行為を言葉にするなら、猟奇という言葉がふさわしいと思います。Googleで調べると、猟奇とは「奇怪・異常なものに強く興味をひかれ、それを捜し求めること。」という意味だそうです。(出典: goo辞書) なるほど確かに、拷問は異常なものですし、そんなものを調べようとするのは猟奇的でしょう。普通の人々には見向きもされないことだと思いますし、それで良いと私自身も思っています。 しかし、もし私が猟奇的に調べた情報を集めたこの図書館(サイト)が後々、他の誰かの参考になるのなら、私のやってきたことにも意味があるのだろうと思えるのかもしれません。
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