最古(※記録の上では)
拷問について話をしているとよく聞かれることがあります。それが、1番最初に出来た拷問ってなに? という質問です。
そもそも、拷問とは苦痛によって相手を思い通りにする行為を意味します。これって、程度の差はあれど誰もがやることだと思うんですよね。
例えば、深夜に空き巣に入った人に何を盗もうとしていたのかを吐かせるために暴行する。これは立派に(?)拷問ですよね。
そういう意味では、最古の拷問はおそらく人類が記録という物を発明するはるか以前に行われていたはずです。
記録に残っていない拷問について解説するのはちょっと無理なので、今回は記録にある中で最古のものについて話そうと思います。
ファラリスの雄牛
記録のある中で一番古い拷問は何なのか? その答えはファラリスの牡牛です。名前だけならかなり有名な拷問ですね。
本当は拷問兼処刑具なのですが、どちらかと言えば処刑具として扱われる方が多いようですね。
この拷問具については別ページで詳しく解説しているので、そちらも読んでください。
カロリナ法典
これは1533年に制定された神聖ローマ帝国の統一刑事法、要するに法律みたいなものです。この中で、史上初めての拷問に関する取り決めが決められました。規律に基づいた拷問という意味では、ここに載っているのが最古の拷問です。
……え? それじゃあこの法律ができるまでの拷問は規律に基づいていなかったのかですって?
はい。その通りです。
とは言え、流石に個人の独断と偏見で拷問を行うなどという無茶苦茶なことは(多分)行われていません。ではどうするのか?その答えが次の項目です。
ちなみに、これは原本がネットで公開されています。私は5秒で翻訳を諦めましたが、読める方は御一報ください。そして内容を教えてください。
神明裁判
個人の独断と偏見で拷問するのは良くない。それなら神様に判断を仰ごう。それが神明裁判です。日本でも盟神探湯(くかたち)という名称で行われていました。
無茶苦茶じゃないか! と思うかもしれません。正直、私もそう思います。
ただ勘違いしないでほしいのですが、当時と現代では風習も違えば常識も違います。なので、現代の感覚で常識的でないからと言って、当時の人間を非常識扱いするのはナンセンスです。彼らは彼らなりの理屈によって、自白を強要させていたということは覚えておいてください。
詳しい話は別の記事で書く予定なので、良ければそちらも読みに行ってくださいね。