ファラリスの雄牛

拷問具の話題の中でファラリスの雄牛(Brazen Bull )の名前を挙げると、「それは拷問具じゃない! 」もしくは「有名な拷問具だ! 」、大きく分けて2つの感想が返ってくることが多いように思います。実際、この記事を見に来ている人も大半はどちらかの感想を持っているんじゃないでしょうか。(もちろん、名前を聞いたこともないという人もいると思います)

勝手な印象ですが、拷問についてある程度知識を持っている人ほど、ファラリスの雄牛を拷問具ではなく処刑具だと認識しているように思います。それはある意味では正しいですが、ある意味では間違いです。

なぜなら、ファラリスの雄牛とは拷問具であり、なおかつ処刑具でもあったからです。ネットで検索してみたところ、処刑具としての側面がより強調されているようなので、そのように認識されやすいのかもしれません。

ネットといえば、多くのサイトでこの拷問具は最も古い拷問具であり、また最も恐ろしい拷問具としても紹介されているようですね。個人的には「最も」をつけるのは疑問ですが、古い時代から存在する恐ろしい拷問具であることは間違いありません。

今回は、そんなファラリスの雄牛について解説しましょう。

 

僭主 ファラリス

この拷問器具が作られたのは紀元前6世紀頃の古代ギリシア時代、場所はイタリアのシチリア島にあるアグリジェントという都市でした。

製作者はギリシャの首都アテナイ(現在のアテネ)の真鍮鋳物師であったペリロス。そしてペロリスがこの拷問具を献上したのが、これの名前の由来にもなったファラリスです。

この拷問具の献上に関するエピソードが書かれている文献(の、断片)は現存しています。その名も歴史叢書。詳しくは下の方で書きますが、この本によるとペロリスは献上したファラリスの雄牛の最初の犠牲者になったようです。自分が作った拷問具で拷問されるというのは、なんとも皮肉な話ですね。

拷問を受けた後、ペロリスは海に沈められ処刑されてしまいます。ただ、この部分については諸説あるらしいですね。ファラリスの雄牛によって焼き殺されたとする説もあるようです。

個人的には、歴史叢書に書かれている内容が正しいとする説を推したいですね。焼き殺してしまったら、それは拷問ではなく処刑になってしまいますから。

ファラリスはいわゆる僭主でした。僭主というのは本来の皇統、王統の血筋によらず、実力により君主になった者のこです。独裁と言い換えてもいいですね。そんな人物がなぜこんなものを必要としたか? 私はそれを治安の為だと考えています。実際、彼の時代にアグリジェントは水の供給や強固な壁の建造など、国力の強化に繋がる政策が行われました。

しかし、ファラリスは元々僭主、つまり力によって権力を勝ち取った人物です。そのためか武力や権力に対する意識が強く、自身の権力によって将軍を選出するなどの横暴も行っていました。行き過ぎた独裁は打倒されるのが宿命です。ファラリスもこの運命には逆らえず、最期はテレマクス主導の反乱で倒されファラリスの雄牛によって処刑されました。

打ち倒された独裁者が後の世で過剰に非道な行いをしたと伝えられるのはよくある話ですが、ファラリスがこの拷問具を使って処刑を楽しんだという話は、果たして事実だったのでしょうか?

 

原理

ファラリスの雄牛は青銅(真鍮製との意見も有る)で出来た中が空洞の雄牛の像です。鍵がかかる扉がついており、人が一人分だけ中に入れるようになっています。中に閉じ込められた犠牲者は、まず暗闇の恐怖と戦うことになります。

が、それは序の口。本当の拷問はここから始まります。

中に入った犠牲者は、雄牛の下から火で炙られます。雄牛は青銅製で熱伝導の効率はとても高い。つまり、火をよく通します。加熱された雄牛は徐々に黄金色に輝きはじめ、内部の温度は450℃を超える高温となります。当然、内部の人間は灼熱地獄のような苦しみを感じることになりますね。

この拷問の良く出来たところは、火を使った拷問特有の窒息死を防いでいるところにあります。雄牛の中はほとんど密閉された空間であり、火を燃やす際に発生した煙が入っていきません。そのため、肺に煙が入ってしまい空気を取り込めない……ということが起こらないわけです。

犠牲者を苦しめる青銅の檻は、同時に犠牲者を死から守る盾でもあるわけですね。もっとも、それが犠牲者よより長く苦しめることになったわけですが……

煙による窒息死が起こらないとはいえ、長時間加熱し続ければ当然中に入っている犠牲者は焼け死にます。窒息により意識を手放すことができないまま、体が熱で焼かれていくというのがどんな感覚なのか、私には分かりません。ですが、想像を絶する苦痛を感じたことは容易に想像できます。

その際、犠牲者は極度の苦痛から大声で叫んだことでしょう。叫び声はこの雄牛の口付近にある換気口から外に出ることになるわけですが、ここに真鍮鋳物師であったペリロスの悪意と創意がありました。換気口にはトロンボーンのような、と形容される真鍮の管が存在しました。これには内部の音を複雑に反響させ、濁った音に変換して外部に響かせる効果があります。

その音は、まるで雄牛が叫んでいるかのようだと語られています。

 

拷問としてのファラリスの雄牛

ファラリスの雄牛は犠牲者を像の中に閉じ込めるという性質上、犠牲者の状態を細かく観察しながらの拷問を行うことが出来ません。像に入れて扉を閉めたあと、自白を聞くためには再び扉を開ける必要があります。これはいかにも効率が悪い

そういう意味では、あまり優れた拷問具とは言えないですね。

ただ、拷問具としての役割を全く果たせなかったのかと言えばそんなことは有りません。その見た目と実際に使用された際の恐ろしさが相まって、この像の前に連れてこられただけで自白してしまう人が多かったようです。私だったら余裕で洗いざらい全部自白しますね。

もっとも、独裁を敷き、権力を意のままにしていたファラリスが自白した人間をそのまま解放したかどうかは……現代の我々には分かりませんけどね。

なんにせよ、拷問具というよりは処刑具としての側面が強かったのではないかと思われます。

 

歴史叢書

この拷問具についての記載がある資料には歴史叢書があります。というより、これ以外には無いんじゃないでしょうか。

この本は紀元前60~30年ごろにシケリアのディオドロスによって作成されたもので、オリエントの古史からカエサルのガリア征服までが編年体で叙述されています。

残念ながら破損が激しいらしく、現在はその断片だけが残っています。日本語訳もあるにはあるのですが、全文が訳されているわけでは無いようですね。とくに、ファラリスやこの拷問具の記述がある第9巻の断片18,19についは翻訳されていないようです。

幸い、英訳されているサイトを発見したのでここにURLを張っておきます。

18  The sculptor Perilaüs made a brazen bull for Phalaris the tyrant to use in punishing his own people, but he was himself the first to make trial of that terrible form of punishment. For, in general, those who plan an evil thing aimed at others are usually snared in their own devices.

19   This Phalaris burned to death Perilaüs, the well-known Attic worker in bronze, in the brazen bull. Perilaüs had fashioned in bronze the contrivance of the bull, making small sounding pipes in the nostrils and fitting a door for an opening in the bull’s side; and this bull he brings as a present to Phalaris. And Phalaris welcomes the man with presents and gives orders that the contrivance be dedicated to the gods. Then that worker in bronze opens the side, the evil device of treachery, and says with inhuman savagery, “If you ever wish to punish some man, O Phalaris, shut him up within the bull and lay a fire beneath it; by his groanings the bull will be thought to bellow and his cries of pain will give you pleasure as they come through the pipes in the nostrils.” When Phalaris learned of this scheme, he was filled with loathing of the man and says, “Come then, Perilaüs, do you be the first to illustrate this; imitate those who will play the pipes and make clear to me the working of your device.” And as soon as Perilaüs had crept in, to give an example, so he thought, of the sound of the pipes, Phalaris closes up the bull and heaps fire under it. But in order that the man’s death might not pollute the work of bronze, he took him out, when half-dead, and hurled him down the cliffs. This tale about the bull is recounted by Lucian of Syria, by Diodorus, by Pindar, and countless others beside them.

 

日本語訳されているものを発見したのでこちらも引用、URLを張っておきます

断片18
彫塑家ペリラオスは、僭主パラリス〔アクラガスの僭主。在位、前570頃-554年頃〕のために、同輩の処罰用に青銅製の牡牛をこしらえたが、自分がその処刑具の威力を最初に体験することになったということ。一般的に言って、そもそも、他者に対して何かつまらぬことを画策する連中は、自分の欲望に絡め取られるものである。[Exc. Vat. p.20.]

断片19
パラリスは、かのアッティカの青銅制作者ペリラオスをば、青銅の牡牛の中で焼き殺した人物である。というのは、この〔ペリラオスという〕男は、牡牛の装置を青銅で制作して、牛の二つの鼻孔に小笛を細工し、牡牛の横腹には戸口まで開けた。そうして、この牡牛をパラリスへの贈り物として引っ張って行く。そこでパラリスはこの人物を贈り物でもてなし、その装置は神々に献納するよう命じる。すると、かの青銅制作者、くだんの横腹を開けるや、悪巧みに満ちし裏切者に、人非人よろしく言ってのけた、「もしもあなたさまが、パラリスよ、人間どものどいつかを処罰したいとお望みなら、この牡牛の中に閉じこめて、下に火を敷き詰めなさいまし。すれば、この牡牛、そやつの呻き声にて唸るがごとくして、さらにはあなたさまは、両鼻の穴の笛によって、その呻き声に快感を覚えられましょう」。これを知ってパラリスは、かの男がおぞましく、「いざや」と彼は言った、「ペリラオスよ、そなたが最初に手本を見せてくれ、そして笛吹きたちの真似をして、そなたの腕のほどを見せてくれ」。得たりや応と、笛の真似をするために這いずり込むや、牡牛をパラリスは閉め、火を焚き付ける。しかし、死んでその青銅製品を汚すことなきよう、半死半生のところを引きずり出して、断崖から突き落とした。この牡牛については、シリア人ルキアノスが書き〔Phalaris 1, 1.〕、ディオドロス、ピンダロス〔P. 1.95.〕、このほかにも無量の人たちが〔書いている〕。[Tzetz. Hist. 1, 646.]

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