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ローマ法と拷問

ヨーロッパの文化は古代ローマから広がりました。文化の中には拷問も含ます。なので、古代ローマの拷問を調べることはヨーロッパの拷問を知るために重要です。では、古代ローマではどのように拷問が行われていたか? それはローマ法を知ることで見えてきます。

 

ローマ法とは何か?

そもそも、ローマ法とは何か? 聞いたことがなくても、その名前からローマの法律であることはわかると思います。より具体的に言えば、古代ローマで制定され、それから1000年にも渡って利用され続けた法律のことです。細かいことを言うと、ローマ法には古代に存在したものと、一度失われたローマ法を中世ヨーロッパで復刻させたものの2種類があります。ですが、ここでは古代に存在したものの方をローマ法と呼ぶことにします

古代ローマの文化は後世に大きく影響を与えていますが、このローマ法の精神も同じくヨーロッパ全体に大きく影響を与えています。そういう意味では、ローマ法とはヨーロッパの法律の基盤となったものであると言えますね。

 

ローマ法と拷問

ローマ法では、どのような拷問をどれくらい行うかという判断を裁判官が決定しました。そして、決められた拷問を尋問官執行人が行います。主な拷問方法としては、ラック、鞭、有棘鋏、熱した鉄板、ひもによる締め付けなどが利用されました。これらの拷問を執行人が実際に行い、その様子や自白した内容を尋問官が記録します。また、犠牲者への取り調べも尋問官の仕事でした。

ちなみに、執行人の技術は公式の場以外でも重宝されたらしく、家庭内の問題で奴隷を拷問するために執行人が雇われるということもあったようです。拷問というものが、市民にとって身近なものであったことがわかりますね。

 

拷問の約束事

そんなローマ人にとって身近な拷問ですが、いつでも誰でも無差別に行なって良いというものではありませんでした。少なくとも、裁判の場で行われる拷問にはいくつかの約束事があります。例えば、拷問は一般市民に対しては行うことができませんでした。では誰に対して行われたのか? 答えは奴隷や解放奴隷、そして市民権を剥奪された人々です。言い方は悪いですが、市民より下の地位の人々と言い換えることができますね。ただし、もちろん例外もあります。謀反や魔術の使用などの重罪の容疑者であれば、市民だろうが貴族だろうが容赦なく拷問にかけられました。

また、この時代において奴隷といえば戦争捕虜のことであり、ローマ市民は彼らを所有物として扱いました。その為、拷問では犠牲者を死なせてしまうことや四肢を傷つけることが禁じられていました。死なせるのは論外だとして、四肢を傷つけることが禁止だというのは疑問に感じるかもしれません。その疑問は、拷問にかけられる犠牲者、つまり奴隷が当時どのように扱われていたのかを知れば理解できます。

先ほど、ローマ市民にとって奴隷は所有物だと言いました。では、なぜ奴隷を所有する必要があるのかといえば、それは仕事や家事を任せるためです。古代ローマが学問を始めとした様々な文化で大きく発展したのは、奴隷に家事や仕事などの労働を任すことが出来たからだと言われています。奴隷に仕事をさせて、自分は学問に身を捧げたり芸術を極めたりしていたわけですね。なので、自分の所有している奴隷が働けなくなったら……とても困りますよね。四肢の傷は労働力を大きく低下させます。だから、例え裁判の為の拷問とはいえ、奴隷の四肢を傷つけるわけにはいかなかったわけです。奴隷本人のためというより、その奴隷の所有者のための決めごとだと言えますね。

……もっとも、それじゃあ四肢以外への拷問なら働けなくなるほどのダメージにはならなかったのかと言えば、決してそんな事はなかっただろうと思いますけども。

 

ローマ法から見た古代ローマの拷問観

このように、古代ローマでは拷問とはローマ法にのっとり特定の人物に対して決められた方法で行うものでした。また、拷問の役割は自白の強要であり、決して犠牲者の意思を捻じ曲げてまで自白を無理やり絞り出させるようなものではなかったというのも重要なポイントです。なぜこんなことをわざわざ重要だと書くのかといえば、これ以降の時代では犠牲者の意思を捻じ曲げて望んだ自白を無理矢理に強要させる拷問が行われるようになるからです。なぜ、そのような残酷な変化が起きてしまったのか? そこには宗教の影が見え隠れしているのですが、それはまた別の記事で書きましょう。

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