拷問台001

拷問台(ラック)

異端審問において、魔女狩りにおいて、そしてヨーローッパにおいて最も一般的な拷問具は何か?
その答えは鞭、もしくはこの拷問台であると言えるでしょう。
鞭は刑罰など他の用途にも使われることを考えると、純粋な拷問具としては拷問台が最も一般的だと言っても過言ではないと言えるでしょう。

この拷問具は古代ローマで既に使われた記録があり、中世、近世と、ヨーロッパ全土で長く使われ続けました。
長い歴史を持つこの拷問具は、数えきれないほど多くの犠牲者をその上に乗せました。

ちなみに、この図書館(サイト)では“拷問台”と呼んでいますが、“ラック”という呼び名のほうが通りが良いかもしれません。

拷問台の形状

“台”と名前が付いている通り、拷問台の本体は犠牲者を乗せるための台です。
形状は文字通り台状のものと、梯子状のものが一般的でした。

いずれの様式でも共通して、台の上部と下部には回転する軸が付いており、そこから犠牲者の手足を縛るための縄が伸びていました。
時代が進むと、苦痛を増大させるための工夫として、台に釘が植えつけるなど、様々な改良がなされました。

拷問台の使用方法

拷問台は大きく分けて2つの性質を持っています。
1つ目は犠牲者を引き延ばすこと、そして2つ目は犠牲者を拘束することです。
拷問を行う執行人にとって、これらは拷問を効率良く行うことのできる都合の良い性質でした。

拷問台に乗せる

拷問台を使われた犠牲者は、まず服を脱がされて全裸もしくは半裸になり、台に寝かされます。
次に、両腕を頭の上に挙げさせられ、手足をそれぞれ台の上部と下部にある回転する軸から伸びた縄で拘束されます。

手足の拘束方法には種類があり、両手と両足をそれぞれ一緒にしてI字型に拘束する方法と、それぞれの四肢を別々にX字型に拘束する方法がありました。
また、後のオーストリアに見られるタイプのようには、両手を背中の後ろで縛り、そのまま頭の上まで無理やり挙げさせて拘束するという方法もありました。

犠牲者の手足を縛った縄は、軸を回転させることで巻き取ることができます。
縄が巻き取られれば犠牲者の体は引っ張られ、やがて手足をいっぱいに伸ばした状態になります。
これで、犠牲者は全く身動きできなくなりました。

ここまでで準備は完了で、ここから拷問が始まります

人体を引き延ばす

準備が済んだあとの拷問方法はいたってシンプルでした。
執行人の問いに対して犠牲者が答えなかったり、嘘をついたと思われるときに、軸を回転させ縄を少し巻き取るだけです。

軸を回転させるための仕組みとして、ハンドルが取り付けられていました。
このハンドルは、長い棒をテコの原理の要領で使うことにより動かすことができます。
縄は引っ張り続けなければ緩んでしまうため、初期の拷問台では1つのハンドルを操作するのに2人の人間が必要でした。
軸は2つあるので、この拷問を行うには、操作するのに4人と尋問するのに1人が最低でも必要だったということになります。

時代が進むとこの機構は改良され、ハンドルには爪車が取り付けられるようになります。
これはハンドルが一方方向にしか回らないようにするもので、一度引っ張ってしまえば力を抜いても大丈夫なようになりました。
このような仕組みのおかげで、改良された拷問台の操作はたった一人でも行えるようになり、より効率よく拷問を行えるようになりました。

拘束具としての拷問台

拷問台ではその性質上、犠牲者を拘束することができます。
後で説明することですが、この拘束は関節が脱臼するほどの強さで行われます。
そんな状況は放置されるだけでも十分すぎるほど苦痛ですが、この状態でさらに鞭打ちや火責めといった拷問が加えられます。

それらの拷問はそれ単体でも十分に効果のあるものです。
そんな拷問が全く身動きできない状態や、動くと脱臼した関節に激痛が走る状態で行われればどうなるか……言うまでもないですね。

ラックが人体に及ぼす影響

拷問台によって犠牲者が与えられる苦痛は、大きく分けて3つに分類できます。

  1. 引き延ばされる苦痛
  2. 半裸や全裸で拘束される精神的苦痛
  3. 併用される鞭や火による苦痛

これらはいずれも、犠牲者に対して自白を促すのに十分な効果を持っていたことでしょう。
しかし、この中で拷問台が与える最も大きな苦痛は、やはり1番の引き延ばされる苦痛だったと思われます。

脱臼という苦痛

引き延ばされた犠牲者の体では何が起こるのか?
その影響はまず、比較的外れやすい肩関節の脱臼という形で現れます。
この時点で十分すぎるほどに苦痛ですが、縄が緩められず、さらに引っ張られ続けます。
その結果、本来なら外れにくい股関節や肘関節まで脱臼します。
もちろん、これらの関節が脱臼したからと言ってそこで拷問が終わるなんてことはありません。
少しでも動けば激痛が走る体をさらに引っ張ることで、拷問執行人は効率よく拷問を行ったことでしょう。

実際に脱臼したことがある人や、脱臼した人を見たことがある人なら分かると思いますが、脱臼というのはかなりの激痛を起こします。
これは、関節から外れた骨が神経を刺激することで起こる痛みです。
刺激された神経は激痛を起こすだけでなく、指先のしびれやなどの神経障害も引き起こしました。
仮に犠牲者が無実になったとしても、このような障害を抱えてしまえば生活に支障が出たのは間違いありません。

外れた骨は神経だけではなく、血管にも影響を与えることがありました。
骨が血管を押さえてしまえば血流障害が起こり、長時間この状態が続けば血が固まって血栓ができてしまうことがあります。
いわゆる、エコノミークラス症候群ですね。
血栓が流れて心臓や脳の血管を詰まらせてしまえば、当時の医療で犠牲者を生かすことは出来なかったでしょう。

皮膚は強い

すべての関節が外れたあと、さらに引っ張り続けると何が起こるのか?
意外かもしれませんが、手足が千切れるということはあまりありませんでした。
なぜなら、皮膚というのは引っ張られる力に対しての耐久力が非常に強いからです。

この皮膚の強さを知ることのできる資料として、1757年に行われたフランスのロベール・フランソワ・ダミアンの処刑があります。
彼は当時のフランス国王であるルイ15世を暗殺しようとした罪で四ツ裂きの刑に処されることになりした。
これは、罪人の手足をそれぞれ四党の馬に引っ張らせて、引きちぎるという刑です。
しかし、1時間も馬が引っ張ったにもかかわらず、彼の手足が千切れることはなく、 関節が外れて伸びただけで、逆に馬が疲れて座り込んでしまいました。
仕方なく、当時の処刑人は斧で間接に切れ込みを入れ、ようやく両腕と片足を千切ることができました。
足一本になってなお、ダミアンはまだ生きていたといいます。
ちなみに、この処刑が不手際だということで、当時の処刑人はこの仕事を最後に辞職しました。

馬が4頭で引っ張っても千切れないのですから、人間がどれだけ引っ張ろうとそう簡単には千切れないということが分かりますね。

何でもしゃべりたくなったでしょう……が

犠牲者はこんな状況で自白を強要されるわけですが、異端審問における自白とは自身を罪を告白することを意味します

心当たりがあって拷問にかけられるのならまだ救いはあったでしょう。
自白すれば、とりあえず苦痛からは逃れることが出来ますから。

しかし、全く身に覚えがない場合は大変です。
異端審問を行うということは、教会側は犠牲者が何らかの罪を犯しているという情報を得ているということです。
そして、その情報通りの回答を犠牲者が自ら告白することで、初めて自白として認められます。
つまり、苦痛から逃れるために適当な自白をしても、それが教会の思った通りの答えでなければ自白として認められないということです。

苦痛を耐えながら正しい答えを探さなければならないというのは、難しいことだったと思います。

拷問台の歴史

非常に長い歴史を持つこの拷問具は、その歴史の中で様々な出来事を経験しています。
今回はその中で、特に印象的な3つのエピソードを用意しました。

古代ローマのユリエッタ

古代ローマでは、 拷問台は竪琴や子馬と呼ばれていました。

この拷問具に限らず、初期のローマでは拷問を行われる対象は奴隷だけと決まっていました。
ローマ人にとって、拷問とは人間が行われるものではないという認識があったからです。
しかし、そんな認識は時代が進むにつれて変化していきました。
その理由は、キリスト教徒が増加し、当時の皇帝たちがその勢力を危険だと認識したからです。

そんな時代背景のある古代ローマで、特に有名な拷問台の犠牲者といえば、キリスト教徒の殉職者であり守護聖人でもあるキュリクスとユリエッタの話が挙げられるでしょう。
この2人は親子で、ユリエッタが母親、キュリクスはその幼い息子でした。

当時、タルススの総督であったアレクサンドロスはキリスト教徒に棄教させるための手段として、拷問台をはじめとしたさまざまな拷問を利用していました。
キリスト教徒であったユリエッタも例外ではなく、棄教を迫る手段としてこの拷問台に乗せられました。
その光景をそばで見ていた息子のキュリクスはひどく泣き叫びました。
そのためアレクサンドロスは、この子を膝に乗せて泣き止ませようとしました。
しかしこのとき、キュリクスは普段母親が話していたのを真似て「私はキリスト教徒です」と言ってしまいました。
この言葉を聞いたアレクサンドロスは、キュリクスを床に叩きつけて殺してしまいます。
その後、ユリエッタも激しい拷問を受けた結果、死んでしまいました。

非常に救いのない話ですが、このような逸話から、この親子は“家族の幸福、病気の子供たちの回復を祈る”守護聖人としてまつられることになりました。

オーストリアのマリア・テレジア

拷問台はそのままでも十分すぎるほどに厳しい拷問ですが、時代が進むとより苦痛を大きくする工夫がなされました。
その中でも特に効果があったであろうものが、“オーストリア式梯子”と呼ばれる拷問台です。
名前のとおりオーストリアで改良、使用されたものです。

見てのとおり、この拷問台は斜めに設置されており、そして犠牲者は手を後ろ手に縛られ頭の上まで引っ張られています。
このような改良は、肩関節に対する苦痛をより増大させることに成功しました。
実際に試してみればわかることですが、手を後ろに組んで頭の上まで持ちあようとするとかなりの痛みが走ると思います。
しかも、斜めに置かれた梯子に乗せられているため、何もされなくても体重の分だけ肩に負荷がかかります
ハンドルを回すまでもなく、ただ犠牲者を拷問台に乗せるだけで拷問が始まるということですね。
もちろん、ハンドルを回せばより大きな苦痛を与えられます。

さらに苦痛を増す手段として、引き延ばされ無防備になった脇を火のついたろうそくで炙ることも行われます。
ちなみに、このとき使用されるろうそくの本数は決められており、多くても少なくてもダメでした。

このオーストリア式梯子は、その苦痛で有名というよりも、その拷問方法を細かく規定されているということで有名になった拷問具です。
その規定というのが、様々な拷問の方法をまとめた“テレジア法典”と呼ばれる法典です。
これは当時のオーストリア女王マリア・テレジアが作らせたものです。

現在ではその内容がネットで見られるようになっているので、興味があるなら見ると良いです。
かなり綺麗な資料で、文字もはっきり見えるので、読める人には読めると思います。
私は読めませんでしたが、拷問方法の部分は絵がついているのでよく理解できました。
ちなみに、上の画像はテレジア法典の350ページです。https://archive.org/details/ConstitutioCriminalisTheresiana-1768

マリア・テレジアはかなり面白い人物なので、興味があるなら調べてみると良いでしょう。
あのマリー・アントワネットの母親だと言われれば、気になってきませんか?

一点、注意しなければならないのは、テレジア法典は残酷な書物であり、マリア・テレジアは残酷な女王だったと勘違いしてはならないということです。
なぜなら、この法典で規定されたことによって、拷問が執行人の気分次第で際限なく残酷になるという事態を防ぐことが出来たからです。

実際、ドイツではこのオーストリア式梯子が使われましたが、テレジア法典の影響がなかったため、より苦痛が増大する使われ方をしています。

スペインの異端審問

拷問台についてのエピソードで最も有名なのは、やはりスペインの異端審問で使われたものでしょう。
スペインでは、拷問台はエスカレーロと呼ばれました。

他のものに見られない改良点として、犠牲者の手足に縄を3周ほど巻いて締め付け、骨まで喰いこませて苦痛を与える工夫がなされていました。
より改良されたものになると、犠牲者を縄で引っ張るのではなく、腕と足にそれぞれロープを巻き付け、拷問台に開けた穴に通して拷問執行官が強く引っ張ることで、締めつけて苦痛を与えるという方法が採用されました。

拷問台が使われた拷問の記録として最も有名なのは、おそらくエルヴィラという人妻に対して行われた際のものでしょう。
拷問をかけられているエルヴィラの様子や異端審問官の問いかけ、それに対する返事など、かなり詳細に記録されており描写が分かりやすいです。
私の持つ文献の中では、『 魔女狩り 』(森島恒雄 著)に、この描写が引用されています。
気になった人は見ると良いでしょう。

また、同じ場面が『ダンスマガプル』という漫画で題材になっています。
少しフィクションも混じっていますが、大体あっているのでこちらも参考になるでしょう。

ちなみに、エルヴィラへの拷問はトレドの異端審問所で行われました。
ここは、後世になってナポレオンの部下が鉄の処女を見つけた場所でもります。

[keni-linkcard url=”http://www.torture.jp/iron%E2%80%90maiden/”]

知名度では劣りますが、ジェーン・ボホルキアという女性に対して行われた拷問台による拷問も、かなり悲劇的なものでした。

彼女にはメアリという妹がいたのですが、その妹が拷問の末、姉と共に信仰への疑問を話し合ったと告発したので拷問を受けることになりました。

異端審問所に連れてこられた当初、彼女は6か月の身重だったので、いきなり手荒い拷問を受けることはありませんでした。
しかし、出産した8日後には赤ん坊を取り上げられ、さらに一週間後には拷問台を使われることになりました。

記録によると、拷問により両手足の関節を外されたジェーンは、牢獄に戻されてすぐ血を吐いて、その8日後に死んだと言います。
おそらく、拷問で内臓にダメージを受けたのでしょう。

その後の赤ん坊がどうなったのか、妹のメアリはどんな処分を受けたのか、考えると暗い気分になります。

その他

改良された拷問台として、イギリスの“エクセター公の娘”は有名な部類でしょう。
これはエクセター公爵、ジョン・ホーランドがフランスで見た拷問台を元に作ったものです。
詳細は別の記事にて紹介しているので、良ければそちらをどうぞ。

[keni-linkcard url=”http://www.torture.jp/duke-of-exeters-daughte/”]

そのフランスには、一般的なタイプの拷問台の他に、台のかわりに車輪を使うタイプの拷問台がありました。
これは、犠牲者の足は地面に固定されており、車輪を回すと縛られている犠牲者の体が徐々に伸びていくというものです。

イタリアの拷問台は、正確には拷問台とは呼べないかもしれません。
なぜなら、本来ならば台があるべき場所には鋭い杭が置かれているからです。
犠牲者は離して置かれた2本の杭に縄で手足を固定され、宙づりにさせられます。
そして、力を抜いて体が曲がったら刺さるよう、犠牲者の真下に鋭い杭を置きます。
この杭は背骨のすぐ下に置かれていたので、運が悪いと脊椎を貫かれ、死んでしまうこともあったようです。

オーストリアのところでも少し触れましたが、ドイツは元々普通のラックを使っていました。
そして、後世になるとオーストリア式梯子を輸入して利用するようになります。テレジア法典の制約が無いドイツでは、

  1. ロウソクの代りに、フラムボウと呼ばれるより火力の高いロウソクを使う
  2. 真っ赤に熱した鉄を脇腹、腕、敏感な部分に押し当てる

といった、より苦痛を大きくする工夫が見られます。
他にも単純に鞭で打つという方法も人気でした。

余談

余談ですが、異端審問や魔女狩りにおいて、この拷問台は予備尋問として使われました。
これが何を意味するかというと、記録上は拷問として扱われないということです。
より具体的に言うと、拷問台で引き出された自白は、拷問を行わずになされた自白として扱われたということです。

日本で言えば、箒尻や石抱きや海老責めは牢問と呼ばれ、拷問と区別されていたのと似たようなことだと思えば分かりやすいでしょう。
どちらも、犠牲者にとっては何の意味もない区別だったということは共通ですね。

参考文献

  • [図説]拷問全書
  • 処刑と拷問の事典
  • 魔女狩り
  • ダンスマカブル
拷問台001
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