釣責め

日本における真の拷問

江戸時代に作成された『公事方御定書』の中で公認された4つの尋問方法、その中で唯一拷問の名を持つのが、今回紹介する釣責め(つるしぜめ)と呼ばれる責めでした。

他の3つが牢問と呼ばれて区別されていることから、江戸時代において真に拷問と呼べるのは事実上この釣責めだけだったと言っても過言ではないかもしれません。事実、この拷問が囚人に与える苦痛は、確かに拷問の名にふさわしいものでした。

方法

縛って吊るす

釣責めを行うには、丈夫で長い縄、縄をひっかけて固定する鉄輪、縄を吊るすための柱が必要です。またこの他にも、囚人の腕を保護するための紙と藁蓆(わらむしろ)、女性の囚人に対しては足を縛るための短い縄が必要です。

具体的な方法は『拷問刑罰史』という資料に詳しいので引用しましょう。

まず囚人のもろ肌を脱がせ、両腕を後ろに廻させ、両掌を両ひじのあたりになるよう深く交叉させ、重ねた一の腕を半紙一帖で巻き、その上を六尺の太縄を折りたたんで増縄の上から二ヶ所縛り固め、縄先を針の鉄輪に通しさらに柱の上の環に通し囚人を釣り下げ、爪先きを床から三寸六分ぐらい離れるように釣り上げ、縄先を柱下の環に結びとめる。この場合も時間が経つにしたがい、細引きが皮肉に喰いこみ、血行障害を起こし非常に苦しむという。

拷問刑罰史 (p44)

これは『公事方御定書』にも書かれている正式な方法です。
ここでポイントになるのは、余計な縄を使わないこと、そして余計な傷を負わせないことでしょう。
釣責めにおいて、縄の本数が増えることは犠牲者への負担が減ることを意味します。縄の数だけ重さが分散されますからね。
もしも腕だけで縛ってしまうと、全体重を腕のみで支えることになりますが、そんな状態が長時間続くと肩の関節に大きな負担がかかり、後遺症が残る危険があります。
また、腕を縛る際には紙と藁蓆(わらむしろ)を巻き、その上から縄で縛りますが、これは皮膚に縄が食い込み、締め付けて破ってしまうのを防ぐためです。
箒尻でもそうですが、出血させてしまうと止血の為に拷問を中断しなければならないという決まりがありました。そのような事態を防ぐため、この様な措置が生まれたのだと考えられます。

余談ですが、釣責めの説明には『囚人のもろ肌を脱がせ』と書かれています。これは、この記事の最初にある徳川幕府刑事図譜の画像と矛盾します。この画像は様々な場所で引用されるのを見かけますが、無条件に信じるべきではないようですね。

女囚への配慮

釣責めでは囚人が過剰なダメージを負わないように工夫がなされていましたが、それは囚人の為ではなく、拷問を中断させないためのものでした。
拷問を中断させないための工夫は他にも見られます。女囚の足首を縛るのもその一例だと言えるでしょう。
上の画像のように、女囚は足首を縄で縛られています。これは裾が乱れること、より正確には、そのせいで内腿が露出するのを防ぐための措置です。
箒尻でもそうでしたが、女囚への拷問には、裾が乱れたら拷問を中断して直さなければならないという決まりがありました。
釣責では囚人が苦痛のせいで激しく暴れることが予想されます。裾が乱れたからといって一々直していたのでは拷問になりませんから、そうさせないためにこのような工夫をしたのだと思われます。

吊るされるという苦痛と危険

囚人は縛られた状態で2、3時間ほど放置されることになります。なぜ2、3時間なのかというと、これ以上放置し続けると囚人の生命が危険だからです。
『拷問刑罰史』から引用した文中にも見られるとおり、この拷問を長時間受けた囚人はまず縄が肉体に食い込む苦痛に、次に血行障害による苦痛に苦しむことになります。
現代の知識から見ても、この拷問を長時間行うことは危険です。
長時間同じ体勢をとり続けると、血管の中で血液が固まり、血栓ができてしまう危険性があります。いわゆる、エコノミークラス症候群ですね。
しかも、この拷問では縄で体を縛ります。縛られた血管は通常よりもより強く締め付けられるため、血栓もできやすいだろうと思われます。

拷問の目的は自白させることですから、その前に死なせてしまっては意味がありません。そう考えると、この拷問を行う時間が2、3時間程度であるのは理にかなっていると言えますね。当時の人々にこのような知識があったのかどうかは知りませんが……

歴史

歴史

釣責めは拷問蔵という特別な場所で行われました。これは江戸時代に存在した伝馬町牢屋敷の中にあった建物で、厚い壁で塗り固められた文字通りの「蔵」です。
特別なのは場所だけではありません。
この拷問を行うには老中の許可が必要でした。拷問を行うのは奉行所ですが、好きに拷問が出来るわけでは無かったということですね。
その為、ほとんど使われることは無かったそうです。
考えてみれば、この拷問を受けるためにはそれ以前の拷問、箒尻、石抱き、海老反りの3つに耐える必要があるのですから、使用例が少ないのは当然と言えばそうですね。

囚人 吉五郎

この拷問を語るなら、「吉五郎」という囚人についても語る必要があるでしょう。
先ほど、この拷問は使用例が少ないと書きました。その数少ない使用例の一人がこの人です。
それと同時に、彼は拷問の耐久記録保持者でもあります。
その数は箒尻15回、石抱き25回、海老責め2回、そして釣責2回の合計なんと44回。しかもこれを1年9か月という決して長くはない期間の間で受けました。単純計算で約2か月に1回のペースですね。
彼はこれらの拷問を最後まで耐え、最期は察斗詰めによって処刑されました。これは、自白無しに囚人を死刑にするというものです。

自白しないのに処刑するのはおかしいんじゃないかと思うかもしれませんが、これは当時の拷問を行う目的に理由があります。
というのも、この時代の拷問は、罪が確定すれば死刑になる重罪人であり、なおかつその証拠が明白な囚人にしか行われない物でした。
言い方が悪いですが、往生際が悪い囚人に対して行われていたと言っても良いかもしれません。(もちろん、中には本当に無実の人もいたでしょうが)
そんな往生際の悪い囚人を、拷問という暴力によって屈服させる。そういう意図がこの時代の拷問にはありました。
つまり、自白をしようがしまいがどっちにしろ処刑されるという結果は変わりません。なので、例え自白を得られなかったとしても、処刑することに問題はなかったわけです。
もっとも、自白をさせられなかった奉行所の役人は悔しい思いをしたかもしれませんけどね。

気の利いた注意書

この拷問について、興味深い話が1つあります。
詳細は不明ですが、釣責を行う際の注意書きとして、女囚に対して行う際には小水(尿)を掛けられる恐れがあるので注意すべしというものがあったそうです。拷問刑罰史 (p45)
釣責めの苦痛を考えれば、囚人が失禁してしまうことは自然なことだと言えます。
しかし、たとえ失禁したとしても、それが掛かるというのはおかしいですよね。
上に画像を載せた通り、女囚は足首を縛られているのですから、真横に居たとしても尿が掛かることはないはずです。
これが何を意味するかというと、つまりこの拷問を行うときに服を全て脱がせていたのではないか? ということです。

もちろん、これは『公事方御定書』に書かれている正式な方法に反します。
しかし、この拷問は拷問蔵という世間から隔絶された場所で行われていました。しかも、ここで自白を引き出せなければ、役人たちにはもうこれ以上の苦痛を与える手段を持っていません。許可されている拷問は4つだけですからね。
となれば、少しでも苦痛を大きくし、自白させやすくしようと考えるのは自然なことだと思います。
その手段の一つとして衣服を全て剥ぎ取るというのも、あり得ないことではないと感じるのは私だけでしょうか。

拷問の名にふさわしい拷問

吊るすという拷問には、この釣責めよりも厳しいものがいくつもあります。国内だけでも、駿河問い穴吊りが思い出されますね。
そのようなより過酷な拷問は、しかし正式な拷問として認定されることはありませんでした。
私が思うに、この釣責が拷問として認定されているというのは大いに興味深いことだと思います。
最も強い苦痛を与えることは、イコール最も優れた拷問であるということにはなりません。
より安全に、より簡単に。苦痛を与えつつも決して死なせることのない拷問、そういうものが最も優れた拷問である。
そういう拷問にとって当たり前のことを、何百年も前に行われていたこの釣責めから再確認させられました。

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