結論から言えば、拷問されたのではないかというのが私の主張です。
とはいえ、いきなりこんなことを言われても困るでしょうし、そもそも何故ジャンヌダルクが拷問されるなんて話になるんだと疑問に思う人も多いでしょう。
正直、確証を得ているわけではないのではっきりとしたことは言えないのですが、調べた範囲のことをざっくりと話してみようと思います。
君はジャンヌダルクを知っているか
そもそも、ジャンヌダルクって誰?
……という人は、あまりいないと思います。
フランスの英雄、オルレアンの少女、ラ・ピュッセル、などなど、様々な異名を持ち、その名に恥じない偉業をもってフランスの守護聖人にもなっている彼女の功績については、様々な書籍やサイトで知ることができます。
が、実は彼女が歴史の表舞台に立っていたのはわずか2年であり、しかも後半の1年は牢につながれ、裁判を受けていたということは知っていましたか?
一般的なジャンヌダルクの輝かしいイメージは、前半のたった1年の間にあった出来事です。
そして私が取り上げようとしているのは、後半の1年、その最後の場面です。
より具体的にいうと、ジャンヌダルクの処刑が行われた2日前の1431年5月28日のことです。
男装をしたという事実
ジャンヌダルクは拷問されたと私が考える理由は、5月28日の記録にあります。
記録によると、彼女は二度としないと誓った男装を再び行うという禁を犯しました。
このことが原因で、2日後には戻り異端として火炙りになります。
たまに、ジャンヌダルクは魔女として処刑されたと説明しているサイトや書籍がありますが、それは誤りです。
たかが男装程度で火炙りなんて……と思う人は多いと思いますが、これはちょっと難しい問題で、理解する為には異端審問のシステムを知る必要があります。
なので、今回は詳しい説明は省きます。
重要なのは、一度やめると誓った男装を再びしたことが処刑される原因だった、ということです。
では何故、ジャンヌダルクは再び男装をしたのか?
ここに、私は拷問の匂いを感じます。
仕組まれていた匂いがする
つまり、ジャンヌダルクは拷問によって男装を強制されたのではないか、ということです。
具体的にどんな拷問だったのかは重要ではありません。
ただ状況を見ると、彼女は男と同じ牢屋に入れられており、その場には何故か男性用の服が置かれていたのは事実です。
さらに言えば、当時ジャンヌダルクは敵の手に捕らえられていたわけで、彼女が異端として処刑されると敵にとって色々と都合の良いことが起こります。
これは私の偏見ですが、ジャンヌダルクを異端として処刑できる絶好のチャンスが目の前にあり、あとは彼女が男装をするだけで良いとなれば、敵はどんな手段でも使うと思うんですよね。
異端として処刑したいという目的があり、男装を強要する何かしらの手段によってその目的は達成される。
拷問というものを調べている身としては、その「何かしらの手段」として拷問を使用するのは、極めて自然なことだと考えます。
これが、私が拷問があったと考える理由です。
あ、ちなみにですが、具体的にどんな拷問だったかは重要ではないと書きましたが、これはもちろん男装するまで痛めつけるということではありません。
女性の服を着たくないと思うような行為によって、結果的に男装することを強要するということです。
これについては、『ダンスマカブル』という漫画が良い描写をしている、とだけ書いておきます。
処刑の大義名分の為に、拷問があったのではないか
まとめますと、ジャンヌダルクを異端として処刑する為に、再び男装するという禁を犯させる目的で拷問という手段を用いたというのが、私の主張になります。
もちろん、実際のところがどうなのかは分かりませんよ。
実際のところを知る為には当時の資料をじっくり読む必要があるわけですが、これがなかなか難しい。
難しくはありますが、同時に面白くもあります。
資料を完全に理解した暁には、異端審問の実例としてしっかりと記事に落とし込みたいところです。
いつになるか分かりませんけども。